選択と集中

人生は限りある。

 

あれもこれも手を伸ばしていたのでは、どれも中途半端になる。

 

器用にこなしていくだけの能力もない。

 

欠点を克服してオールマイティな人間になれるほど簡単な欠点でもない。

 

であれば、集中すべきものを絞って、不要な選択肢は切り捨てる。

 

欠点を克服するのではなく、長所を伸ばす、長所を作る。

 

多分、長所=好きなことであると思う。

 

好きなことは長く続けられる。

 

長く続けばもっと得意になる。 

 

自分の得意、好きなことは何だろう。

 

パソコン関係は割と得意な方かもしれない。

 

あと、法律や、人に教えることも好きなことかもしれない。

 

少し意識して勉強してみよう。

 

では、その勉強の時間をどうやって生むのか。

 

必要のないことをしなければいい。

 

これも選択と集中

 

テレビは、NHKが面白くて為になるけど、時間を取りすぎるから見ない。

 

スマホも時間を取られるから極力離す。

 

睡眠時間は効率良く仕事と勉強をする為に絶対必要なので確保。

 

ウォーキングも同じく確保。

 

残業は、、、しないと言いたいところだけど、そんなことしたら後々もっとひどいことになるから、できないのが実情。

 

他にも選択と集中をしていくことはいっぱいありそう。

 

ただ、断捨離と同じで、やりすぎには注意が必要だろう。

 

人の生活とかけ離れた世捨て人みたいな淡白な生活にはならないように。

 

多少の脱線、息抜きがあっていいと思う。

浮世離れ

日常に現実感がない。

 

 

自分の性格は、真面目で頑固、プライドがあり、みんなに良くみられたいところがある。

 

それらの性格の他、浮世離れしているという点があると思う。

 

普段生きていて、現実感がないというか、全てが妄想の中というか、、

 

想像の世界に生きているような、そんな感覚。

 

普通の生活、感覚からズレているのではないかと。

 

他人から、なんだか話しかけにくい雰囲気があるらしい。

 

自分の側も他の人と話をしたくないときがある。

 

そんな気持ちが相手にも伝わるのかもしれない。

 

この感じは、離人症とか言って、鬱病の人や、強いストレスを受けた人や、トラウマのある人に出るらしい。 

 

改善は、カウンセリングと薬療法らしい。

 

自分のトラウマやコンプレックスときちんと向き合う必要がある。

 

まず、インターネットやゲーム、テレビ、映画などの空想の世界から遠ざかってみる。

 

現実を生きること。

 

生身の人間同士のコミュニケーションをもっと取る必要がある。

 

他者があって自分がある。

 

他者を見て自分という個の特徴がわかる。

 

他者に傷つけられるのが怖いけれど、他者と関わらないといけない。。

 

 禅問答のよう。

自分を持つとは

この前、線が細い、と言われた。

 

線が細いとはどういう意味か。

 

辞書には、

性格が弱々しい。繊細である。

とあった。

 

もう少し調べると、
「線の細い人」の具体的な特徴は、

「人間的な大きさが感じられない」、

「お人よしで、自分の主張をしっかり通せない」、

「困難にあったらすぐへなへなと心が折れる、挫折する」

といったところらしい。

 

自分の意見を主張しないからそう見えるのか。

 

普段から無口だからということもあるのか。

 

でも、あまり喋らなくても雰囲気のある人はいる。

 

あと、自分を持つことの必要性を必死に説かれた。

 

大事な場面では思ったことを曲げないことが大切だ、

ということらしい。

 

確かに思い当たる節はある。

 

もともとの性格が大きいし、会話の技術がないことも関係していると思う。

 

自分を持つとは、いったいなんだろう。

 

この自分は自分でないのか。

 

本当の自分ではないのか。

 

悩む自分も含めて自分ではないのか。

 

言えないことがある自分も自分なのではないか。

 

普通の会話が出来ない自分ではいけないのか。

 

普通とは何なのか。

 

普通になりたいが、方法がいまいち分からない。。

これからの仕事の話

転職のことについて考えていたら、職業について思うことがあった。

 

これからの時代、仕事の職種によって今よりももっと大きな差が出てくると思われる。

 

大企業や公務員など、大きな組織の場合、外からの監視が強くなっており、バッシングのかっこうの的になる。

 

最近の国民の目は厳しく、ちょっとした不祥事ですぐに会見を開き、謝ることになる。

 

大人数の社員を雇っていることは、不祥事を起こす潜在因子の数も多いということ、人件費を払わないといけないことから、リスクを多く抱えるということである。

 

また、大企業だと、今後、競争のために社員の給料が下がる、または、海外の労働者の賃金の方が安いためにリストラの危機にもさらされている。

 

クビにならないためにはどうすれば良いか。

 

また、クビになってしまったときのためにどうすれば良いか。

 

それは自分の価値を高めることであると思う。

 

ある専門分野に特化し、その道のプロフェッショナルになる。

 

自分にしか出来ないことを身につける。

 

もう会社は守ってくれないので、会社に頼るのではなく、自分の技術に頼るのである。

 

少子化の今、大学に入りやすい時代であると思う。

 

もう、大卒であることが当たり前になってしまった。

 

昔は学歴というものがステータスになっていたが、それももう通用しなくなる。

 

会社は即戦力のプロを欲する。

 

新人を育てる余裕なんてない。

 

だから、大学を卒業してもいい条件で働ける人が少なくなる。

 

理系の大学を出たとして、ウエイターやコンビニで働いていては、大学の4年間が全くの無駄である。

 

大学の間に資格やスキルを身につけるべきである。

 

今からでも手に職をつけるべきと思い至った。

 

あとは、未開拓地を探す、穴場を見つける。

 

例えば、建築士や看護師、弁護士は不足しているとよく聞く。

 

IT関係や電気関係の技術者は今も不足しているし、将来もっと必要になる業種だと思う。

 

これらは引く手あまたの業種である。

 

 

今の仕事に関係する以外に何か資格を取っておくことで保険になるかもしれない。。

対人関係の気付き

対人関係でなぜだか壁を作られる。

 

なかなか話しかけられない、会話中もぎこちない。

 

他の人たちは、みんな、冗談を交わしながら、会話ができている。

 

なぜか。

 

この前、複数人と連続で話す機会があった。

 

いろんな人がいて、いろんな話し方をする。

 

話し方がぎこちない人と、いたって自然な人がいる。

 

何が違うのか、思い出していた。

 

気付いたこととして、

表情がよく変わる人は自然な話し方だと感じた。

 

また、言葉がハキハキしていて聞き取りやすいと話が弾みやすい。

 

目線をすぐに外さずに、適度に相手の目をジッと見ている人の話も楽しく続いた。

 

私は何一つできていないだろう。

 

なんのことはない、相手が壁を作っているのではなくて、私が壁を作っているということだ。

 

では、どうすれば壁を取り除けるかだが、

簡単な話、私が自然な話し方を真似ればいい。

 

だが、言うは易い、行うは難い。

 

普通の人は、これらが普通にできるんだろう。

 

普段から心がけ、少しずつ実践するしかないか。。

運動習慣は大切である

運動を習慣化することを実行中である。

 

夜にウォーキング。

 

距離も測ってないし、時間もバラバラ、週に何回やるかも決めてない。

 

行けたら行く、行けないときは無理しない。

 

じんわり汗をかく。

 

途中から、頭の中から雑念が消えてきて、集中できる感覚になる。

 

一つのことを集中して考える。

 

考え事は馬上枕上厠上でするべしと言うけれど、リラックスできていれば、ウォーキングも考えが捗るのではと感じている。

 

1ヶ月続けられれば習慣化できていると言えるのだろうか。

 

今まで長く続いたことが少ない。

 

これだけ自分ルールを緩めたのだから、続くといいな。。

 

書を捨て町へ出ようではないけれども、

本ばっかり読んで、テレビ見て、スマホ触って、ゲームしてても

何も生まれてこないことは分かっている。

 

身体を動かして現実との接点を多くしよう。

 

このお堅い表情や考えが、ほぐれてくるのを期待して。

昔の話から

10月に小中学校時の友達の結婚式がある。

 

去年から、なぜだか小中学校の友達と距離を取っている。

 

だから、結婚式にもどんな顔して行っていいか、今から不安である。

 

なぜ、距離を取っているのか。

 

好きで取っているのではなくて、何だか居心地が悪い。

 

しんどいんだ。

 

いろいろ思いを巡らせて、気がついた。

 

結婚する友人は、私のことを一番特別な目で見ているからだ。

 

 

小中学校のとき、私は生徒会長や学級委員、部長などに率先してなっていた。

 

よく考えてみたら、やりたくなんてなかったんだ。

 

みんなが良い目で見てくれるから、

親が嬉しい顔をしてくれるから、

父親が名のある役職をやっていて、自分もやらないといけないと思ってしまったから、、、

 

実際、いろいろポカもしていた。

意見をうまくまとめるなんてできていなかった。

 

かなり無理していた。

 

友達は今でも、そんな私を特別な目で見ている。

 

特別でも何でもない。

 

他の友人は、私のちっぽけな自尊心や虚栄心、実力の無さに気づいているかもしれない。

 

それも怖い。

 

それも見透かされた上で私と付き合っているのなら、私はとんだピエロではないか。

 

そこまで割り切る強さは、今は無い。

 

普通の友達みたいに、相手の愚痴を言ったり、からかいあったり、くだらない冗談を言い合ったりしたい。

 

そんな人間関係の下地では無い。

既に下地は固まってしまっている。

 

私は、くだらないことなんて言わない、悪口なんて言わない、聖人君子ということになっている。

 

24年間の下地である。もう手遅れだ。

 

 

 

私の顔の表情は、かなりお堅い感じだと思う。

 

人間、生き方が顔に出ると言うが、この下地が作り出した、まさに凝り固まった真面目顔というものだと思う。

 

とっつきづらいというか、話しかけにくいというか。

 

他人との話が弾まない、他の人みたいにあんなに話が楽しそうにならないのは、この表情も原因のひとつかと感じる。

 

すぐには変わらないが、変えていかないといけない。