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エッセンシャル思考

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする グレッグマキューン著 かんき出版

を読んだので感想を。

 

仕事に忙殺され、家族や自分の時間を無くしている人々、本当に大事なことは何ですか?

このままでいいのですか?

 

仕事のやり方、人付き合いの仕方をゼロベースで見直しましょう、というのがエッセンシャル思考です。という主旨でした。

 

全てのものごとはトレードオフ

何かを選択するには何かを削除しなければならない。

 

仕事はキャパシティを超えて殺到してくるもの。全てをひとりでこなせるなんてあり得ない。

 

積極的に、自ら、エッセンシャル思考を取り入れないと変わらない。

 

方法としては、必要不必要を見極める、不必要を捨てる、習慣化するという段階毎にストーリーを織り込みながら書いてありました。

 

自分に取り込める内容としては、

・目標は完全に明確にする。

・判断するための基準を明確に自分の中に持つ。基準はとことん厳しく。(何かのチャンスが来たら、文字で書き起こし、最低限の基準を3つ挙げ、理想の基準も3つ挙げる。最低限の基準を満たしていないなら却下。理想の基準を満たしていないものも却下。すべて満たしているものが考慮に値する。)

・決断を90点ルールにする。90点に満たないものは0点とする。

・仕事や用事を引き受ける前によく考え、すぐに返答しない。最初の見極めに力を入れる。

・うっかりと約束を交わしてしまうのを防ぐために、何かを言う前に5秒だけ待つ。

・魅力的なチャンスであっても捨てることが時に必要である。

・全てはトレードオフの関係にある。何かをやろうとすれば、必ず何かを切らないといけない。

・仕事を離れ、インプット時間を確保する。

・1日8時間睡眠を確保する。

・上手い断り方を学ぶ。(沈黙する、代替案を出す、予定を確認して折り返す、代わりに後回しにする仕事を聞く、冗談めかして断る、別の人に回す)

・見込み時間は1.5倍して見積もる。

・仕事はできるだけ早い時間に着手し、軽い負担で終わらせる。

・悪い習慣はきっかけに注目し、別の良い習慣に関連付けてしまう。

・今、この時、この物事に集中する。

 

自分が実際に仕事に忙殺され、苦しんでいるため、だいぶ為になった。

 

日本の企業ではこんな振る舞いをすると孤立しそうだが、試してみたい。

 

まずは、電子機器への依存という悪い習慣を捨てる、睡眠時間を8時間確保する。

 

ここから始めよう。

 

影、と言われた。

 

お前は影みたいだと言われた。

 

酔っ払いの冗談だったのかもしれない。

 

その言葉を決して忘れない。

 

言い返せなかった自分にもイライラする。

 

影が無いと光は輝くことができない。

 

影の良さに気づけない方の器が小さいんだ。

 

このやり場のない怒りを忘れない。

 

影で結構。

 

影はやさしく、いつでもそばにいる。

 

影の形は自由自在、障害物にも影響されない。

 

光の前に影はかすむだろうが、光はそんなにも長い間輝いていられるのか。無理だろう。

 

まぁなんにせよ、今に見てろ、ということだ。

今後生き残る人

これからの世の中、生き残る人というのが限られてくるのではないか。

 

ここで言う生き残るというのは、自分本来の姿を理解し、そのままの自分を出して生きることである。

 

自分本来の姿から遠ざかるほど、身体や精神が疲弊していく。

 

その乖離の大きさ、期間の長さによっては、身体・精神の病気になる、一般的な人の生活というものが送れなくなる。

 

今、過労死問題がニュースになっているが、根本的な解決策はいまだ不透明である。

どの会社も、少ない人数で膨大な量の仕事をどう処理すればいいのか、効果的な即効薬を持っていないように思われる。

上に立つ人はどこか他人事だろう。

どうせすぐに変わることはできないから、人数を増やしたり、業務を減らしたりなど、移行するまでの期間は、どうしても末端の働き手である若年層への負担が増えていく。

 

スマホやネット、SNSは既に常識であり、常に人との繋がりを強制させられる。プライベートが無くなり、常に監視の目にさらされる。

休みの日が休みにならないこともあるだろう。

特に疲弊した一週間をこなして、さあ週末だというときに会社や先輩からの電話やメール。全く休みにならない。

 

ワークライフバランスとかいう程のいい言葉によって、仕事だけでなく家事も強要され、子供を増やすんだと結婚と子育てを強要される。

 

昔はこんなもんじゃなかったぞ、という年配の方が必ずいる。

いつの時代の話をしているのか。

仕事だけしていれば良くて、仕事の成果よりも接待の席で飲めれば許され、問題が起きても世間に流出することも少なかった。

今の時代のほうがよっぽど大変で窮屈だ。

 

こんな世の中、精神的、肉体的に強い人でないと生きてはいけない。

 

お人好しには生きられない世の中に移行している。

 

強い人は打たれながらも這い上がり、強く前進するだろうが、そうでない人は。

 

自分の人生を振り返っても、我慢の連続だと思う。

糸が張り詰めているけれども、なんとか切れないでいる。

いつかどこかで切れてしまいそうだ。

他人の気持ち

自分以外の人が怖い。

 

他人の好意が怖い。

期待に答えられないのではないか。

好意に対する責任感が生まれるような気がする。

相手の好意に見合うだけの好意を持ってないといけないのではないか。

 

他人の嫌悪が怖い。

誰にも嫌われたくない。

嫌われることは自分の全てを否定されたような気になる。

任されたことは何が何でもこなさないといけない。

 

人の気持ちにあてられるとしんどくなる。

 

人が嫌いになる。

 

自分基準でなく、他人がどう思うかに焦点が合ってしまっている。

 

他人と近づきたかったはずなのに、あるラインを越えると、それ以上近づきたくなくなる。

 

これは何だろう。

 

相手基準で世界を判断する。それは、自分というモノの輪郭がぼやけたような感覚。

 

自分が本当に好きなことってなんなのか、それすらも曖昧になるような。

 

仮に、自分が好きだと言っているそれは、本当に心の底から好きなのか。

 

他人の目があるから、好きだと言うことにしているんではないか。

 

すごく嫌だという気持ちは、常日頃感じているのに、すごく好きだという気持ちは全くと言っていいほど感じていないように思う。

 

好きを感じるアンテナが壊れてしまっているのか。

 

嫌なことだけ感じる人生、、、哀しいな。

対人関係

対人関係を可能であれば避けてきた人生だと思う。

 

深入りしないというか、関わらないように、自然と人と会うことを避けていた。

 

それは、自分のことを嫌われたくないから。

変に思われるくらいなら、関わらないほうがいい。

 

もともと感情を表に出さないし、表情も乏しい。何を考えているのか分からないと言われることもある。

 

積極的に人と関わらないようにするから、なおのこと考えは分からなくなるだろう。

 

自分でも、自分はどうしたいのか、何のためにこんな苦しい思いをしてまで生きているのか、分からなくなる。

 

ここ数年、会社の上司と晩御飯を食べることが多い。

 

いろんな話をするけれど、ときどき、自分の発言や思考に驚くことがある。

 

自分は、こんな風に思っていたんだ、こんな反応をするんだ、こんな価値観を持っていたんだ、と。

 

人と関わることで、自分のことがわかる。

相手がいるから自分がある。

 

人と接するのも自分を見つめるいい機会なのかもしれない。

 

自分の味方になってくれる人と会話を多くできたらと思う。

 

そうすれば、今まで曖昧だった、自分の好きなこと、嫌いなこと、価値観が浮かび上がってくるのではないか。。

 

気づくのが遅くて手遅れかもしれないが。。

不安なこと

最近は少し安定した精神状態を保っていると思っていた。

 

仕事はそれなりに頑張り、それなりに頑張り過ぎず。

 

でも、ある日、ある時を境に、瞬間的に精神が不安定になる。

 

それは、一本の電話だったり、誰かの一言だったり。

 

なんでもないときに不意にやってくる。

交通事故みたいなもの。

 

不安なことが出てくると、頭の中がその不安なことで埋め尽くされる。

 

心ここに在らず。

 

なんとかならないものだろうか。

 

結局、どうにかしないといけないし、どうにもならないこともある。

 

分かってはいるけれど、頭の中のほとんどを占領されてしまう。

 

20代のときは、それはそれは苦しくて、寝れないほどだった。

 

30代になって、ちょっとは軽く考えることができるようになってはきた。

 

多分、慣れだけなんだろう。

 

あとは予防線張りまくる。失敗しないように。

 

でも、いつもいつも予防線は張れないかもしれない。

 

ひとつひとつ苦しみながらやっつけていくしかないのか…。

 

生活に楽しみが欲しいな。

回避性パーソナリティ障害5

回避性愛着障害〜絆が稀薄な人たち〜 岡田尊司光文社新書

を読んだので感想を。

 

回避性パーソナリティ障害(回避型、不安型)について、その原因から症状、特徴、改善方法について書かれていました。

 

特に取り上げる点としては、

・回避型の人は、自分が相手のことを好きなのか、一緒にいた方がいいのか、いない方がいいのか、それさえ、はっきりと分からない。

 

・愛着が不安定な人ほどメデイア依存になりやすい。

 

・回避型の人は、将来子どもを持つことにさほど興味がなく、子どもを世話することからさほど満足が得られない。

 

・パートナーとの情愛的な共感やパートナーが常にそばにいることは、回避型の人にとって重荷になる。

 

・回避型は外部からの圧力に対して、何ら自分の意思をもって抵抗することがない。そこまでして守らなければならない絆というものが存在しない。

 

・回避型はパートナーから期待外れの側面を見せられると熱が冷めるのを通り越して、拒否感や嫌悪感さえ抱くようになる。ある部分のみ愛しているに過ぎない。

 

・回避型にとって長続きしやすい関係は、仕事や趣味、芸事、スポーツなど、ある特定の領域の興味や関心を共有する仲間と、その部分だけでつきあうというものである。

結婚に関してもこの点は変わらない。パートナーとそれを共有することで相手への共感や敬意が育まれ、さらに長い関わりの中で愛着が培われ、幸福な関係が続きやすい。

 

・どちらか一方が相手のサポート役に回ることがよい。うまくいく場合は、サポート役は安定した愛着スタイルを持ち、自己犠牲を強いられることが多い。

つまり、サポートに生きがいを感じる人+世話や関心を人一倍必要としている人の組み合わせがいいようだ。

 

・回避型の人は、仕事はできるが関わりが表面的なため人望に難がある。

 

・安全基地になってくれる理解者がいると回避型は仕事を続けられる。

 

・回避型は雑事(事務処理能力や管理能力)でつまずいてしまう場合が多い。

 

・回避型は自分の専門的な技能や実力にしか頼れない。仕事で成功するには、誰にも引けを取らない領域を持つことである。

 

・逆に不幸な働き方は、自分の専門領域ややりたいことがあいまいなまま、都合に流され、苦手な領域や雑多な仕事に神経をすり減らし消耗することである。

 

・回避型の人は、常にぎりぎり一杯のところを、頑張って耐えていたにすぎない。まだ余裕があると誤解されやすい。

体の方が悲鳴をあげ、ついには糸が切れたように動けなくなる。

 

・回避型は、無気力、無関心、投げやりさをともなう。生きようとする根本的な意欲を持てない。

 

・回避型にエネルギーが乏しいのは、幼い頃から安全基地をもたず、安心して探索行動をとることができなかったため。

 

・現実や問題に向き合うことを避けず、そのことについて語ることが、脱出への第一歩である。

 

・過去の出来事のネガテイブな解釈をポジティブなものに修正する。

 

・自分が問題から逃げていることに気づき、もう逃げないと覚悟を決めること。

 

・やらねばならないこと、やっていることに集中すること。積極的に行動し、自分のペースで物事を運ぶこと。そこで成功体験を積めば、克服へのきっかけとなる。

 

・メデイア(スマホ、テレビ、パソコン、インターネット、SNS、など)から遠ざかる。入ってくる情報量を適度に減らし、頭を整理し、自分で考える余地を生む。

ケータイをいじる代わりに体を動かす、読書をする、文章を書く、人とリアルに関わる。

 

・同じ趣味、関心の人交友の場を持つ。

 

・人生を動かす最大の力は、人とのつながりである。

 

・安全基地となりうる人を。どんなときも「大丈夫だよ」と言ってくれる存在。

 

・安全基地として機能し始めると、しだいに気持ちや意思を話せるようになる。

 

・うつや不安やイライラに囚われることがあっても、それが生活や人生を腐らせるのではなく、一生懸命生きていることの証として感じれるように。

 

この他にも書き切れないが、以上とする。

 

いろいろなことに気づかせてもらった。

 

本を読んですぐに誰かに話を聞いてもらいたい気持ちになった。

 

ストレスに強い人とは、不満を漏らさず黙々と耐えて頑張る人ではなく、愚痴を言いながらやれる人であると思う。

 

愚痴を聞いてもらいたい。

 

その相手が愛着基地なんだと思う。

 

愚痴を延々と聞いてもらえる、こちらのストレスをただで受けてくれる人とは誰か。

 

積極的な行動、自分の頭で考える、、、できることはまだまだありそうだ。