結婚の意味

30代を迎えてしばらく経つが、結婚が現実味を帯びてこない。

 

結婚の意味、パートナーを作る意味を明確にしないと自分の気持ちが結婚に向かないと思われる。

 

結婚の利点とは何だろう。

 

 1人でいる利点とは、

・他人である配偶者と意見調整をしなくてもよい。

・配偶者の生活(費用、手間、時間)の負担をしなくてもよい。

 

では欠点はと言うと、

・病気や怪我のときに日常生活が大変困難になる。

・触れ合いがないため、自己完結するようになる。(精神的な孤独)

・子供を持つことができない。(ここでも病気や怪我が大きな支障になる)

・世間体が良くない。

 

結婚の利点とは、

・日常の物事や感情を共有する事ができる。

・互いに不足を補い合うことができる。

・触れ合いを通して安心感を得ることができる。

・子供を持つことができる。

・世間からのある程度の承認が得られる。

 

結婚の欠点とは、

・自分の時間、費用が減る。

・精神的な負担(価値観の相違の受け入れ、配偶者との衝突、費用面などでの悩み)が増える。

 

自分の中で何が障害になっているかと言えば、

・精神的な負担

であると思う。

 

価値観が極端に違う場合、合わせることに疲れてしまうだろう。

価値観が合う場合、それは相手も孤独を好むため、結論として互いに孤独でいた方が良いことになってしまう。

 

また、自分の感情のもやもやの中に、「他者と触れ合う」ということに対する嫌悪感がある。

 

ドラマの中のような「家族お芝居」にむず痒さを感じる。

 

ドライな家族でいたいのだろうか。

 

結婚の利点である

・日常の物事や感情を共有する事ができる。

・触れ合いを通して安心感を得ることができる。

という2点も私にとっては難しく、欠点になってしまうと思われる。

自分の価値観で話しても理解してくれず、共有できないと思うからである。

触れ合いで安心感につながりにくいからである。

 

では、どうすればよいのか。。

 

回避性愛着障害の人は、配偶者に愛着基地としての役割のみを求める。

 

進んでサポートに回るような献身的で自己犠牲をいとわないような人が適しているという。

 

また、興味が共通していることも上手くいくポイントである。

 

聞き役に徹してくれることで、回避性愛着障害の人は精神的な負担が減り、次第に内面の葛藤を話すことができるようになり、感情の共有、触れ合いから来る安心感を得ることができる、のではないかと考える。。

 

しかし、こんなパターンは世間的に少なく、本当にそんな「聖母のような」特殊な人がいるのかと思えてしまう。

 

気持ちを言えるようになる前に、相手が冷めてしまうのが普通である。

 

ここまで考えて、一巡してふと思う。

そこまでして結婚する意味とは。。

覚えるだけの勉強をやめれば劇的に頭がよくなる

覚えるだけの勉強をやめれば劇的に頭がよくなる 小川仁志PHP新書

を読んだので感想を。

 

勉強というと、小中学校の詰め込み型の勉強を想像しがちだが、社会人の勉強とは、思考とアウトプットにある。

 

多忙な社会人でも身になる勉強方法を示している。

 

以下、取り入れたい部分を抜粋した。

 

・思考の方法は、5段階から成る。

1.疑う 2.削ぎ落とす 3.否定的に考える 4.根源的に考える 5.まとめる

特に5のまとめる、つまりアウトプットが大切である。

これらができていれば、深い考えを持つことができる。

 

・忙しいときの勉強というのは、隙間時間の有効活用にある。

また、スケジュールというのは上手くいかないものなので、調整して遅れを取り戻す。調整の方法は優先順位の低いものを後にすることで調整する。

 

・情報整理は時間をかけるポイントではない。資料として切り取れるものはその場で切り取るなど、手軽に収集する。

 

・情報収集に有効な方法として、あえて興味のない分野の本を読んでみる。

 

・物を記憶するには、繰り返しとインパクトが大切。

例えば、覚える内容を紙に書いて貼っておき、繰り返し見る。

また、語呂合わせにしてインパクトのある覚え方をするなど。

 

・思考というのは多読から生まれる。

多読のコツとしては、

今日読む本を決め、自分に有用な部分のみ読む。

あえて嫌いな分野の本を取り入れる。 

入門書から読み始める。

 

 

基本的な内容が多かったように思うが、それができている人がどれだけいるのだろう。

多読については、可能な限りやっていこうと思う。

 

仕事で忙しく、ヘトヘトになるため、平日は勉強なんてしていられないと思っていたが、やらないと始まらないし、ますます負の連鎖に陥る気がする。

 

少しずつ進んでいこう。

ハッピーエンド

世の中、ハッピーエンドの物語だけではない。

バッドエンドも多くある。

 

人生においても似たようなもの。

エンドではないけれど、良いことと悪いことがあって、悪いことの方が多いイメージ。

 

必ずハッピーになれるわけではないし、人間の人生なんて、意味の無いもの。

 

宇宙の中のちっぽけな人一人の人生なんて、そのものが偶然である。

 

そんな偶然に一喜一憂してたら、精神が保たない。

 

ハッピーかバッドかは、その人の受け取り方次第。

 

ハッピーならよし、バッドなら次のための勉強の機会だと思うくらいじゃないとやっていけない。

 

精神、心の鍛錬が必要。

 

それはきっと、人と接することで鍛えられるのだろう。

 

考えを分かち合う、傷つけあう、それらを通して強くなっていくんだろう。

 

傷つけ合う、、、今からじゃあ手遅れかも。

エッセンシャル思考

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする グレッグマキューン著 かんき出版

を読んだので感想を。

 

仕事に忙殺され、家族や自分の時間を無くしている人々、本当に大事なことは何ですか?

このままでいいのですか?

 

仕事のやり方、人付き合いの仕方をゼロベースで見直しましょう、というのがエッセンシャル思考です。という主旨でした。

 

全てのものごとはトレードオフ

何かを選択するには何かを削除しなければならない。

 

仕事はキャパシティを超えて殺到してくるもの。全てをひとりでこなせるなんてあり得ない。

 

積極的に、自ら、エッセンシャル思考を取り入れないと変わらない。

 

方法としては、必要不必要を見極める、不必要を捨てる、習慣化するという段階毎にストーリーを織り込みながら書いてありました。

 

自分に取り込める内容としては、

・目標は完全に明確にする。

・判断するための基準を明確に自分の中に持つ。基準はとことん厳しく。(何かのチャンスが来たら、文字で書き起こし、最低限の基準を3つ挙げ、理想の基準も3つ挙げる。最低限の基準を満たしていないなら却下。理想の基準を満たしていないものも却下。すべて満たしているものが考慮に値する。)

・決断を90点ルールにする。90点に満たないものは0点とする。

・仕事や用事を引き受ける前によく考え、すぐに返答しない。最初の見極めに力を入れる。

・うっかりと約束を交わしてしまうのを防ぐために、何かを言う前に5秒だけ待つ。

・魅力的なチャンスであっても捨てることが時に必要である。

・全てはトレードオフの関係にある。何かをやろうとすれば、必ず何かを切らないといけない。

・仕事を離れ、インプット時間を確保する。

・1日8時間睡眠を確保する。

・上手い断り方を学ぶ。(沈黙する、代替案を出す、予定を確認して折り返す、代わりに後回しにする仕事を聞く、冗談めかして断る、別の人に回す)

・見込み時間は1.5倍して見積もる。

・仕事はできるだけ早い時間に着手し、軽い負担で終わらせる。

・悪い習慣はきっかけに注目し、別の良い習慣に関連付けてしまう。

・今、この時、この物事に集中する。

 

自分が実際に仕事に忙殺され、苦しんでいるため、だいぶ為になった。

 

日本の企業ではこんな振る舞いをすると孤立しそうだが、試してみたい。

 

まずは、電子機器への依存という悪い習慣を捨てる、睡眠時間を8時間確保する。

 

ここから始めよう。

 

影、と言われた。

 

お前は影みたいだと言われた。

 

酔っ払いの冗談だったのかもしれない。

 

その言葉を決して忘れない。

 

言い返せなかった自分にもイライラする。

 

影が無いと光は輝くことができない。

 

影の良さに気づけない方の器が小さいんだ。

 

このやり場のない怒りを忘れない。

 

影で結構。

 

影はやさしく、いつでもそばにいる。

 

影の形は自由自在、障害物にも影響されない。

 

光の前に影はかすむだろうが、光はそんなにも長い間輝いていられるのか。無理だろう。

 

まぁなんにせよ、今に見てろ、ということだ。

今後生き残る人

これからの世の中、生き残る人というのが限られてくるのではないか。

 

ここで言う生き残るというのは、自分本来の姿を理解し、そのままの自分を出して生きることである。

 

自分本来の姿から遠ざかるほど、身体や精神が疲弊していく。

 

その乖離の大きさ、期間の長さによっては、身体・精神の病気になる、一般的な人の生活というものが送れなくなる。

 

今、過労死問題がニュースになっているが、根本的な解決策はいまだ不透明である。

どの会社も、少ない人数で膨大な量の仕事をどう処理すればいいのか、効果的な即効薬を持っていないように思われる。

上に立つ人はどこか他人事だろう。

どうせすぐに変わることはできないから、人数を増やしたり、業務を減らしたりなど、移行するまでの期間は、どうしても末端の働き手である若年層への負担が増えていく。

 

スマホやネット、SNSは既に常識であり、常に人との繋がりを強制させられる。プライベートが無くなり、常に監視の目にさらされる。

休みの日が休みにならないこともあるだろう。

特に疲弊した一週間をこなして、さあ週末だというときに会社や先輩からの電話やメール。全く休みにならない。

 

ワークライフバランスとかいう程のいい言葉によって、仕事だけでなく家事も強要され、子供を増やすんだと結婚と子育てを強要される。

 

昔はこんなもんじゃなかったぞ、という年配の方が必ずいる。

いつの時代の話をしているのか。

仕事だけしていれば良くて、仕事の成果よりも接待の席で飲めれば許され、問題が起きても世間に流出することも少なかった。

今の時代のほうがよっぽど大変で窮屈だ。

 

こんな世の中、精神的、肉体的に強い人でないと生きてはいけない。

 

お人好しには生きられない世の中に移行している。

 

強い人は打たれながらも這い上がり、強く前進するだろうが、そうでない人は。

 

自分の人生を振り返っても、我慢の連続だと思う。

糸が張り詰めているけれども、なんとか切れないでいる。

いつかどこかで切れてしまいそうだ。

他人の気持ち

自分以外の人が怖い。

 

他人の好意が怖い。

期待に答えられないのではないか。

好意に対する責任感が生まれるような気がする。

相手の好意に見合うだけの好意を持ってないといけないのではないか。

 

他人の嫌悪が怖い。

誰にも嫌われたくない。

嫌われることは自分の全てを否定されたような気になる。

任されたことは何が何でもこなさないといけない。

 

人の気持ちにあてられるとしんどくなる。

 

人が嫌いになる。

 

自分基準でなく、他人がどう思うかに焦点が合ってしまっている。

 

他人と近づきたかったはずなのに、あるラインを越えると、それ以上近づきたくなくなる。

 

これは何だろう。

 

相手基準で世界を判断する。それは、自分というモノの輪郭がぼやけたような感覚。

 

自分が本当に好きなことってなんなのか、それすらも曖昧になるような。

 

仮に、自分が好きだと言っているそれは、本当に心の底から好きなのか。

 

他人の目があるから、好きだと言うことにしているんではないか。

 

すごく嫌だという気持ちは、常日頃感じているのに、すごく好きだという気持ちは全くと言っていいほど感じていないように思う。

 

好きを感じるアンテナが壊れてしまっているのか。

 

嫌なことだけ感じる人生、、、哀しいな。