回避性パーソナリティ障害5

回避性愛着障害〜絆が稀薄な人たち〜 岡田尊司光文社新書

を読んだので感想を。

 

回避性パーソナリティ障害(回避型、不安型)について、その原因から症状、特徴、改善方法について書かれていました。

 

特に取り上げる点としては、

・回避型の人は、自分が相手のことを好きなのか、一緒にいた方がいいのか、いない方がいいのか、それさえ、はっきりと分からない。

 

・愛着が不安定な人ほどメデイア依存になりやすい。

 

・回避型の人は、将来子どもを持つことにさほど興味がなく、子どもを世話することからさほど満足が得られない。

 

・パートナーとの情愛的な共感やパートナーが常にそばにいることは、回避型の人にとって重荷になる。

 

・回避型は外部からの圧力に対して、何ら自分の意思をもって抵抗することがない。そこまでして守らなければならない絆というものが存在しない。

 

・回避型はパートナーから期待外れの側面を見せられると熱が冷めるのを通り越して、拒否感や嫌悪感さえ抱くようになる。ある部分のみ愛しているに過ぎない。

 

・回避型にとって長続きしやすい関係は、仕事や趣味、芸事、スポーツなど、ある特定の領域の興味や関心を共有する仲間と、その部分だけでつきあうというものである。

結婚に関してもこの点は変わらない。パートナーとそれを共有することで相手への共感や敬意が育まれ、さらに長い関わりの中で愛着が培われ、幸福な関係が続きやすい。

 

・どちらか一方が相手のサポート役に回ることがよい。うまくいく場合は、サポート役は安定した愛着スタイルを持ち、自己犠牲を強いられることが多い。

つまり、サポートに生きがいを感じる人+世話や関心を人一倍必要としている人の組み合わせがいいようだ。

 

・回避型の人は、仕事はできるが関わりが表面的なため人望に難がある。

 

・安全基地になってくれる理解者がいると回避型は仕事を続けられる。

 

・回避型は雑事(事務処理能力や管理能力)でつまずいてしまう場合が多い。

 

・回避型は自分の専門的な技能や実力にしか頼れない。仕事で成功するには、誰にも引けを取らない領域を持つことである。

 

・逆に不幸な働き方は、自分の専門領域ややりたいことがあいまいなまま、都合に流され、苦手な領域や雑多な仕事に神経をすり減らし消耗することである。

 

・回避型の人は、常にぎりぎり一杯のところを、頑張って耐えていたにすぎない。まだ余裕があると誤解されやすい。

体の方が悲鳴をあげ、ついには糸が切れたように動けなくなる。

 

・回避型は、無気力、無関心、投げやりさをともなう。生きようとする根本的な意欲を持てない。

 

・回避型にエネルギーが乏しいのは、幼い頃から安全基地をもたず、安心して探索行動をとることができなかったため。

 

・現実や問題に向き合うことを避けず、そのことについて語ることが、脱出への第一歩である。

 

・過去の出来事のネガテイブな解釈をポジティブなものに修正する。

 

・自分が問題から逃げていることに気づき、もう逃げないと覚悟を決めること。

 

・やらねばならないこと、やっていることに集中すること。積極的に行動し、自分のペースで物事を運ぶこと。そこで成功体験を積めば、克服へのきっかけとなる。

 

・メデイア(スマホ、テレビ、パソコン、インターネット、SNS、など)から遠ざかる。入ってくる情報量を適度に減らし、頭を整理し、自分で考える余地を生む。

ケータイをいじる代わりに体を動かす、読書をする、文章を書く、人とリアルに関わる。

 

・同じ趣味、関心の人交友の場を持つ。

 

・人生を動かす最大の力は、人とのつながりである。

 

・安全基地となりうる人を。どんなときも「大丈夫だよ」と言ってくれる存在。

 

・安全基地として機能し始めると、しだいに気持ちや意思を話せるようになる。

 

・うつや不安やイライラに囚われることがあっても、それが生活や人生を腐らせるのではなく、一生懸命生きていることの証として感じれるように。

 

この他にも書き切れないが、以上とする。

 

いろいろなことに気づかせてもらった。

 

本を読んですぐに誰かに話を聞いてもらいたい気持ちになった。

 

ストレスに強い人とは、不満を漏らさず黙々と耐えて頑張る人ではなく、愚痴を言いながらやれる人であると思う。

 

愚痴を聞いてもらいたい。

 

その相手が愛着基地なんだと思う。

 

愚痴を延々と聞いてもらえる、こちらのストレスをただで受けてくれる人とは誰か。

 

積極的な行動、自分の頭で考える、、、できることはまだまだありそうだ。