自己分析

更新がかなり空いてしまった。

 

年度が変わるタイミングでバタバタしていたのと、なんだか更新する気持ちにならなかった。

 

お付き合いしていた人とは年度末にお別れした。

お互いにいまひとつ踏み込めなかった。

よそよそしさがいつまでも取れない。

似た者同士だったんだと思う。

 

自分がこんな性格だから、相手が神経質だと負のスパイラルに陥るのではないかと自己分析。

 

ある程度あっけらかんとした明け透けな性格の人の方がいいのかもしれない。

 

恋愛はかなりエネルギーを消耗する。

 

この疲労感と期間というとても大きな代償を払ってひとつ学ばせてもらった。

 

結婚(恋愛)については、既に次の行動に移っている。

次は落ち着いて焦らず、自分に正直に判断したい。

勢いも大事というが、自分にはリスクが大きすぎる。

 

三歩進んで二歩下がる。本当に少しずつしか進まない…。

今年中に落ち着きたいな…。

結婚とは

結婚とは何か。

 

それは契約である。

 

生涯お互いに協力して生活しましょうという。

 

親子関係とは違う、契約がないといけない関係。

親子や親戚の間には無償の愛がある。

しかし、夫婦間には無償の愛は生まれにくい。結局のところ赤の他人だから。

 

親子間では許せた相手の欠点も、夫婦間では決裂するほどに許せなくなる場合があると聞く。

 

 

実のところ夫婦2人の間には利害関係が発生して上手く成り立っているのだと思う。

 

例えば、分かりやすいのが、一方が生活資金を稼ぎ、もう一方が家庭を守る関係。それぞれの役割を果たすから関係性が成り立つ。

 

一方が世間の流行や遠くの地理に長けており、一方が家の中のことや近所の情報に長けている関係。それぞれが得意な分野で能力を発揮するから助け合え、関係性が成り立つ。

 

どんな利害関係でもいいから、関係性が成り立つことで結婚はスムーズにいくと思われる。

 

結婚における無償の愛は滅多に存在しないと思う。

無償の愛があるなら、なぜわざわざ契約を交わすのか。それは、そうしないと破綻しかねないからではないのか。

 

最近、晩婚化が進んでいると聞く。

その原因として、よく挙げられているのが、娯楽の多様化、女性の社会進出だということもよく聞く。

 

もう少し掘り下げてみると、お互いの利害関係が一致しなくなってきたのではないかと思う。

 

女性が社会進出することで、生活資金を自分で十分に稼ぐことができ、そんな関係性に頼らなくても良くなった。

 

外の世界や娯楽にも十分に触れ合える機会が増え、男よりも活発な人もかなりいる。男にいろいろ教えてもらうこともどんどん減ってきた。

 

実際に、女性は昔よりもかなりたくましくなっているのではないかと思う。精神的にも肉体的にも。

 

反対に男は女性に対して優位に立てるものが少なくなり、反面、プライドは保ちたいから、がっつかない。結果的に草食系男子と呼ばれるようになった。

 

ひと昔前は、亭主関白で男は黙って仕事に行き、家事や子育ては女性の仕事、なんて時代があったが、あの関係性は実に利害関係が分かりやすい。

 

こんな時代なら、お見合いをやってもうまくいくだろう。互いに心の底から性格を確かめ合う必要なんて無いから。それぞれの役割を果たすことが結婚だったから。お互いの性格の不一致は後から付いてくるおまけ。

その反動で熟年離婚なんてことが起きている。

 

 

今では、よっぽどお互いの性格が一致しないと夫婦間がうまくいかない割合が増えてきたと思う。結婚してもすぐ離婚。

 

 

 

ここで、自分の場合を振り返ると、

自分はプライドが高く、結婚して尻にしかれるなんてことは嫌になると思う。自由にさせてほしい。

 

だとすると、自分と同じかそれ以上に頭が良く、口が達者で、自分の意思を示すひとはダメなんだろうと思う。

そしてバリバリ働いていたり、男の社会で揉まれているようなデキる女性もダメなんだろう。

 

控えめでちょっと抜けてて家事が得意な女性、こんなイメージの相手じゃないと利害関係が一致しない。

 

 

ほかに、結婚相手を見つける別の観点として、何かしっかりした共通点がある人を見つける観点もある。

 

すごく好きなことや、生涯続けたい仕事など、しっかりした共通点である。

 

要するに、その趣味や仕事で繋がってるということである。

 

育ってきた環境が同じとか、昔から続けてきた趣味が同じとか、職種が同じとかのときに成立しやすいように思う。

同じコミュニティであること。趣味サークルや職場、生まれた地域など。

 

 

 

なかなかどちらも難しそうだ。

無償の愛なんて無い。利害関係なんだ。

とは思いたくはないけれど、結局、社会ってそういう仕組みなのではないかな。。

行き当たり

閉塞感にとらわれている。

 

袋小路に行き当たってしまったような。

 

自分の中で筋が一本通っていないと地に足がついていないというか、ひとりの人間として胸を張っていられない。

 

 

 

最近、いとこの結婚式があった。

親戚のおじさんおばさんがいるんだが、会話の節々の言葉が胸をえぐってくる。

 

「なんで結婚しないんだ、選り好みしてるんだろう。」

「あなたB型だと思った。マイペースだから。」

言葉以外でも、自分とは会話をせず、弟とばかり話をしていた。

 

 

別の日、彼女の誕生日をお祝いした。

晩御飯、いい感じのお店を予約して、プレゼントを渡した。

喜んでくれた。

なのになんだか重い沈黙があった。

言葉では言い表せない感じ。

お互いに無理してるような、何か言いたいけれど言えないような。よそよそしさ。

 

 

思い通りにならない人間関係がつらい。

多分、相手がどうとかはそれほど関係なくて、自分で自分を分かってないのが一番の原因かもしれない。

 

 

とある人に相談した。

彼女のことで不安に思うことがあると。

その流れで、言われた。

 

「あなたはプライドの塊のような人。自分が一番でないと気が済まない。」

「あと、多分彼女はあなたのことがそんなに好きではないと思う。彼女もプライドが高い人。自由にしていたい人。」

 

 

彼女のそれが本当かどうかはまだ分からないけれど、自分に関することはギクっとなった。

 

無駄に高いプライドを傷つけないよう、人目を気にして優等生的な位置を守り、友人と距離を置きたがり、兄弟とさえ意識せずとも比較して優劣を付けてしまう、何かを教わることは続かず、女性と付き合うときは世間の目を意識してしまう。

 

要するにそういうことだったのかと、ある意味落ち着いたというか、納得もした。

 

 

それで、これからどうすればいいのか、分からない。

 

行き当たってしまった。

集中できる環境

部屋での作業はできない。

何度も試したけれど無理だと悟った。

 

自分はひとりの場合よりも、人の目がある環境のほうが集中ができる。

あとはスキマ時間と呼ばれるタイミング。

 

 自分がいろいろ思いつくタイミングは、車を運転しているとき、電車やバスに乗っているとき、お風呂に入っているとき、図書館など。

 

その環境で作業できないだろうか。

 

 

図書館での勉強は一般的だが、できるだけ人目の多いところでないとダラけてしまう。

 眠くなってしまうのだ。。

 

 

電車やバスに乗っているときというと、普段は車通勤だから、限られる。

 

いっそのこと、電車やバス通勤にすれば、その間読書の時間がとれる。

 

スキマ時間というもので、限られた時間だからこそ集中できる。

 

 

お風呂の中だと、防水ケースに入れたタブレットで本を読む、あるいは文章を書く。

 風呂場は最近すごく寒いから、風邪をひかないようにしないといけない。

 

 

車を運転しているときは、スマホは使えないし本も読めない。

できるのは音楽を流すことくらいか。

英語、落語、自己啓発、、、。

 

結構、できることは多そう。

 

自分の部屋では勉強をしない。

そう決めてしまえば逆に楽になる気がした。

 

自己肯定

自己肯定感を高めるには。

 

 今まで自己肯定感を高めるために、いろいろなことを考えてきた。

 

インプットばかりをやってきたように思う。

インプットの効果のほどはよく分からない。

 

それほど現状に不満もなく、むしろ好転している。
それなのになぜか満たされない。

 

アウトプットをしないといけないのかもしれない。

 

アウトプットとは何をすればいいのか。

 

とにかく自己受容と自己肯定。

 

自分の状態を正しく把握して、どんな状態でも行動でも結果でも自分を全て肯定すること。

 

根拠の無い自信。

 

自分は良くやっている、すべて受け入れよう、これが自分なんだ。と思い切る覚悟。

 

過度に期待せず、かと言って後悔して落ち込まず。

 

そんなこともある、今回、自分は良くやったと思い切る。

または、次があるさ、次に活かすにはどうするかと気持ちを前進させる。

 

思考をパターン化できれば。。

討論の要点

討論に弱い。

 

変な返ししかできない。余分なことを言ってしまう。

 

討論の要点になるのではというものを書いてみる。

基本的には考えてみただけなので信頼できるものかは分からないが。

 

 

討論は攻めと守りがあると思う。

 

単純に言うと、

攻め(オフェンス)は相手の矛盾点や薄いところを突く。

守り(ディフェンス)は相手の攻めに対してボロが出ないように回答する。

 

基本的にはオフェンスの方が強い。それは、どんな点を突いてもいいから。

ディフェンスはありとあらゆる質問に準備なんてできない。

 

では、オフェンスとディフェンスはどうやれば上手くいくのか。

 

オフェンスについては、ミクロ(細かい)なところを突く。

細かい点ほど、相手がしっかり把握していない可能性が高いと思う。突くならそういう点である。

または、根本の考え方を突くと、相手の主張そのものを土台から否定することになり、ダメージが大きい。


ディフェンスについては、細かく突いてくるオフェンスに対してなんとか免れないといけない。

オフェンスと同じ土台(ミクロ:細かい視点)に乗ってはいけない。まともに受けてはならない。

マクロ(大局的)な視点で回答することだ。

悪く言えば丁寧に答えないようにする。程よく適当なちょっとぼやっとしたものを答える。

概要や方針、一般論とか道徳論のようなものを主張して、細かいことまで言わない。

細かいことを言えばそこからドツボにはまる。

 

 


また、オフェンスとディフェンスの方法には、感情型と理詰め型がある。

 

感情的に主張することもできるし、理詰めで主張もできる。

 

オフェンスの場合、相手が感情的に反論するのであれば、理詰めで質問すれば、相手のペースを崩せるかもしれない。

 

その逆もしかりで、 

ディフェンスの場合、相手のタイプに合わせないようにすれば、追求を免れやすくなるとも言える。

 

例えば、

オフェンス:「ここはこの基準でやるべきではないですかが?問題なのではないですか?(理詰め型)」

 ディフェンス「そこは現場としてできるだけやっています!これ以上やれというんですか!?あなたの指示でどれだけ業務量が増えてると思っているんですか!?そもそも必要な基準なんですか!?(感情型)」

というようなやり取りは珍しくないと思う。

とことんまで型を突き通さないと相手に呑まれてしまう。

 

 

あとは、笑いを含めるとスムーズにいきやすくする。

相手の理詰めに対し、お茶を濁す。激しくなっている相手の感情を安らげる。

話し合いの合間にジョークなんてそうめったに出せるわけがないが、、、。

 

常日頃 なされているやり取りには高度な駆け引きがあることを改めて思った。

 

みなが自然にやっていることに驚くばかりである。

主張の方法

自分の主義主張を表現、伝えること。

 

この能力が今一番ほしいもの。

 

周りの人に比べてこれが圧倒的にできない。

 

東京の東大生を何人も輩出している高校では、生徒に先生以上に主張させるようだ。

 

国際社会を相手にするには、主張主張を表現、伝えることが一番求められるからだそうだ。

 

そんな学生生活はもちろん送ってこなかった。

大抵の人はそうだと思う。

 

しかし、得意な人と苦手な人に分かれている。

先天的なものだけでなく、後天的なものも大きいように思う。

 

以前の記事で内向性について書いたが、特に小さい頃の家庭環境はその後の人生を左右するのだ。

 

主張というのは、題材を見つける能力、論理的に主張を組み立てる能力、主張に必要な材料を調べる能力、プレゼンテーションの能力、、いろいろな力が必要である。

 

そもそも何か物事について、意見を思いつかないと主張もできないということ。

 

そのあたりからトレーニングしないといけないような気がする。

何事にも興味を持つように。

 

あとは場数をこなす。

 

ブログを書くのはいいトレーニングだと思う。

書く題材を探して決める、思考を文章にする。

 

月一回くらいの話し方講座も、3分間程度のスピーチが毎回あるため、いいトレーニングになっている。

 

また、上に書いた東京の高校では、ビブリオバトル(本の書評による主張大会)を定期的にやっているという。

討論形式で何か取り組まないと自分にはまだ足りない気がする。。