今後生き残る人

これからの世の中、生き残る人というのが限られてくるのではないか。

 

ここで言う生き残るというのは、自分本来の姿を理解し、そのままの自分を出して生きることである。

 

自分本来の姿から遠ざかるほど、身体や精神が疲弊していく。

 

その乖離の大きさ、期間の長さによっては、身体・精神の病気になる、一般的な人の生活というものが送れなくなる。

 

今、過労死問題がニュースになっているが、根本的な解決策はいまだ不透明である。

どの会社も、少ない人数で膨大な量の仕事をどう処理すればいいのか、効果的な即効薬を持っていないように思われる。

上に立つ人はどこか他人事だろう。

どうせすぐに変わることはできないから、人数を増やしたり、業務を減らしたりなど、移行するまでの期間は、どうしても末端の働き手である若年層への負担が増えていく。

 

スマホやネット、SNSは既に常識であり、常に人との繋がりを強制させられる。プライベートが無くなり、常に監視の目にさらされる。

休みの日が休みにならないこともあるだろう。

特に疲弊した一週間をこなして、さあ週末だというときに会社や先輩からの電話やメール。全く休みにならない。

 

ワークライフバランスとかいう程のいい言葉によって、仕事だけでなく家事も強要され、子供を増やすんだと結婚と子育てを強要される。

 

昔はこんなもんじゃなかったぞ、という年配の方が必ずいる。

いつの時代の話をしているのか。

仕事だけしていれば良くて、仕事の成果よりも接待の席で飲めれば許され、問題が起きても世間に流出することも少なかった。

今の時代のほうがよっぽど大変で窮屈だ。

 

こんな世の中、精神的、肉体的に強い人でないと生きてはいけない。

 

お人好しには生きられない世の中に移行している。

 

強い人は打たれながらも這い上がり、強く前進するだろうが、そうでない人は。

 

自分の人生を振り返っても、我慢の連続だと思う。

糸が張り詰めているけれども、なんとか切れないでいる。

いつかどこかで切れてしまいそうだ。