不安なこと

最近は少し安定した精神状態を保っていると思っていた。

 

仕事はそれなりに頑張り、それなりに頑張り過ぎず。

 

でも、ある日、ある時を境に、瞬間的に精神が不安定になる。

 

それは、一本の電話だったり、誰かの一言だったり。

 

なんでもないときに不意にやってくる。

交通事故みたいなもの。

 

不安なことが出てくると、頭の中がその不安なことで埋め尽くされる。

 

心ここに在らず。

 

なんとかならないものだろうか。

 

結局、どうにかしないといけないし、どうにもならないこともある。

 

分かってはいるけれど、頭の中のほとんどを占領されてしまう。

 

20代のときは、それはそれは苦しくて、寝れないほどだった。

 

30代になって、ちょっとは軽く考えることができるようになってはきた。

 

多分、慣れだけなんだろう。

 

あとは予防線張りまくる。失敗しないように。

 

でも、いつもいつも予防線は張れないかもしれない。

 

ひとつひとつ苦しみながらやっつけていくしかないのか…。

 

生活に楽しみが欲しいな。

回避性パーソナリティ障害5

回避性愛着障害〜絆が稀薄な人たち〜 岡田尊司光文社新書

を読んだので感想を。

 

回避性パーソナリティ障害(回避型、不安型)について、その原因から症状、特徴、改善方法について書かれていました。

 

特に取り上げる点としては、

・回避型の人は、自分が相手のことを好きなのか、一緒にいた方がいいのか、いない方がいいのか、それさえ、はっきりと分からない。

 

・愛着が不安定な人ほどメデイア依存になりやすい。

 

・回避型の人は、将来子どもを持つことにさほど興味がなく、子どもを世話することからさほど満足が得られない。

 

・パートナーとの情愛的な共感やパートナーが常にそばにいることは、回避型の人にとって重荷になる。

 

・回避型は外部からの圧力に対して、何ら自分の意思をもって抵抗することがない。そこまでして守らなければならない絆というものが存在しない。

 

・回避型はパートナーから期待外れの側面を見せられると熱が冷めるのを通り越して、拒否感や嫌悪感さえ抱くようになる。ある部分のみ愛しているに過ぎない。

 

・回避型にとって長続きしやすい関係は、仕事や趣味、芸事、スポーツなど、ある特定の領域の興味や関心を共有する仲間と、その部分だけでつきあうというものである。

結婚に関してもこの点は変わらない。パートナーとそれを共有することで相手への共感や敬意が育まれ、さらに長い関わりの中で愛着が培われ、幸福な関係が続きやすい。

 

・どちらか一方が相手のサポート役に回ることがよい。うまくいく場合は、サポート役は安定した愛着スタイルを持ち、自己犠牲を強いられることが多い。

つまり、サポートに生きがいを感じる人+世話や関心を人一倍必要としている人の組み合わせがいいようだ。

 

・回避型の人は、仕事はできるが関わりが表面的なため人望に難がある。

 

・安全基地になってくれる理解者がいると回避型は仕事を続けられる。

 

・回避型は雑事(事務処理能力や管理能力)でつまずいてしまう場合が多い。

 

・回避型は自分の専門的な技能や実力にしか頼れない。仕事で成功するには、誰にも引けを取らない領域を持つことである。

 

・逆に不幸な働き方は、自分の専門領域ややりたいことがあいまいなまま、都合に流され、苦手な領域や雑多な仕事に神経をすり減らし消耗することである。

 

・回避型の人は、常にぎりぎり一杯のところを、頑張って耐えていたにすぎない。まだ余裕があると誤解されやすい。

体の方が悲鳴をあげ、ついには糸が切れたように動けなくなる。

 

・回避型は、無気力、無関心、投げやりさをともなう。生きようとする根本的な意欲を持てない。

 

・回避型にエネルギーが乏しいのは、幼い頃から安全基地をもたず、安心して探索行動をとることができなかったため。

 

・現実や問題に向き合うことを避けず、そのことについて語ることが、脱出への第一歩である。

 

・過去の出来事のネガテイブな解釈をポジティブなものに修正する。

 

・自分が問題から逃げていることに気づき、もう逃げないと覚悟を決めること。

 

・やらねばならないこと、やっていることに集中すること。積極的に行動し、自分のペースで物事を運ぶこと。そこで成功体験を積めば、克服へのきっかけとなる。

 

・メデイア(スマホ、テレビ、パソコン、インターネット、SNS、など)から遠ざかる。入ってくる情報量を適度に減らし、頭を整理し、自分で考える余地を生む。

ケータイをいじる代わりに体を動かす、読書をする、文章を書く、人とリアルに関わる。

 

・同じ趣味、関心の人交友の場を持つ。

 

・人生を動かす最大の力は、人とのつながりである。

 

・安全基地となりうる人を。どんなときも「大丈夫だよ」と言ってくれる存在。

 

・安全基地として機能し始めると、しだいに気持ちや意思を話せるようになる。

 

・うつや不安やイライラに囚われることがあっても、それが生活や人生を腐らせるのではなく、一生懸命生きていることの証として感じれるように。

 

この他にも書き切れないが、以上とする。

 

いろいろなことに気づかせてもらった。

 

本を読んですぐに誰かに話を聞いてもらいたい気持ちになった。

 

ストレスに強い人とは、不満を漏らさず黙々と耐えて頑張る人ではなく、愚痴を言いながらやれる人であると思う。

 

愚痴を聞いてもらいたい。

 

その相手が愛着基地なんだと思う。

 

愚痴を延々と聞いてもらえる、こちらのストレスをただで受けてくれる人とは誰か。

 

積極的な行動、自分の頭で考える、、、できることはまだまだありそうだ。

選択と集中

人生は限りある。

 

あれもこれも手を伸ばしていたのでは、どれも中途半端になる。

 

器用にこなしていくだけの能力もない。

 

欠点を克服してオールマイティな人間になれるほど簡単な欠点でもない。

 

であれば、集中すべきものを絞って、不要な選択肢は切り捨てる。

 

欠点を克服するのではなく、長所を伸ばす、長所を作る。

 

多分、長所=好きなことであると思う。

 

好きなことは長く続けられる。

 

長く続けばもっと得意になる。 

 

自分の得意、好きなことは何だろう。

 

パソコン関係は割と得意な方かもしれない。

 

あと、法律や、人に教えることも好きなことかもしれない。

 

少し意識して勉強してみよう。

 

では、その勉強の時間をどうやって生むのか。

 

必要のないことをしなければいい。

 

これも選択と集中

 

テレビは、NHKが面白くて為になるけど、時間を取りすぎるから見ない。

 

スマホも時間を取られるから極力離す。

 

睡眠時間は効率良く仕事と勉強をする為に絶対必要なので確保。

 

ウォーキングも同じく確保。

 

残業は、、、しないと言いたいところだけど、そんなことしたら後々もっとひどいことになるから、できないのが実情。

 

他にも選択と集中をしていくことはいっぱいありそう。

 

ただ、断捨離と同じで、やりすぎには注意が必要だろう。

 

人の生活とかけ離れた世捨て人みたいな淡白な生活にはならないように。

 

多少の脱線、息抜きがあっていいと思う。

浮世離れ

日常に現実感がない。

 

 

自分の性格は、真面目で頑固、プライドがあり、みんなに良くみられたいところがある。

 

それらの性格の他、浮世離れしているという点があると思う。

 

普段生きていて、現実感がないというか、全てが妄想の中というか、、

 

想像の世界に生きているような、そんな感覚。

 

普通の生活、感覚からズレているのではないかと。

 

他人から、なんだか話しかけにくい雰囲気があるらしい。

 

自分の側も他の人と話をしたくないときがある。

 

そんな気持ちが相手にも伝わるのかもしれない。

 

この感じは、離人症とか言って、鬱病の人や、強いストレスを受けた人や、トラウマのある人に出るらしい。 

 

改善は、カウンセリングと薬療法らしい。

 

自分のトラウマやコンプレックスときちんと向き合う必要がある。

 

まず、インターネットやゲーム、テレビ、映画などの空想の世界から遠ざかってみる。

 

現実を生きること。

 

生身の人間同士のコミュニケーションをもっと取る必要がある。

 

他者があって自分がある。

 

他者を見て自分という個の特徴がわかる。

 

他者に傷つけられるのが怖いけれど、他者と関わらないといけない。。

 

 禅問答のよう。

自分を持つとは

この前、線が細い、と言われた。

 

線が細いとはどういう意味か。

 

辞書には、

性格が弱々しい。繊細である。

とあった。

 

もう少し調べると、
「線の細い人」の具体的な特徴は、

「人間的な大きさが感じられない」、

「お人よしで、自分の主張をしっかり通せない」、

「困難にあったらすぐへなへなと心が折れる、挫折する」

といったところらしい。

 

自分の意見を主張しないからそう見えるのか。

 

普段から無口だからということもあるのか。

 

でも、あまり喋らなくても雰囲気のある人はいる。

 

あと、自分を持つことの必要性を必死に説かれた。

 

大事な場面では思ったことを曲げないことが大切だ、

ということらしい。

 

確かに思い当たる節はある。

 

もともとの性格が大きいし、会話の技術がないことも関係していると思う。

 

自分を持つとは、いったいなんだろう。

 

この自分は自分でないのか。

 

本当の自分ではないのか。

 

悩む自分も含めて自分ではないのか。

 

言えないことがある自分も自分なのではないか。

 

普通の会話が出来ない自分ではいけないのか。

 

普通とは何なのか。

 

普通になりたいが、方法がいまいち分からない。。

これからの仕事の話

転職のことについて考えていたら、職業について思うことがあった。

 

これからの時代、仕事の職種によって今よりももっと大きな差が出てくると思われる。

 

大企業や公務員など、大きな組織の場合、外からの監視が強くなっており、バッシングのかっこうの的になる。

 

最近の国民の目は厳しく、ちょっとした不祥事ですぐに会見を開き、謝ることになる。

 

大人数の社員を雇っていることは、不祥事を起こす潜在因子の数も多いということ、人件費を払わないといけないことから、リスクを多く抱えるということである。

 

また、大企業だと、今後、競争のために社員の給料が下がる、または、海外の労働者の賃金の方が安いためにリストラの危機にもさらされている。

 

クビにならないためにはどうすれば良いか。

 

また、クビになってしまったときのためにどうすれば良いか。

 

それは自分の価値を高めることであると思う。

 

ある専門分野に特化し、その道のプロフェッショナルになる。

 

自分にしか出来ないことを身につける。

 

もう会社は守ってくれないので、会社に頼るのではなく、自分の技術に頼るのである。

 

少子化の今、大学に入りやすい時代であると思う。

 

もう、大卒であることが当たり前になってしまった。

 

昔は学歴というものがステータスになっていたが、それももう通用しなくなる。

 

会社は即戦力のプロを欲する。

 

新人を育てる余裕なんてない。

 

だから、大学を卒業してもいい条件で働ける人が少なくなる。

 

理系の大学を出たとして、ウエイターやコンビニで働いていては、大学の4年間が全くの無駄である。

 

大学の間に資格やスキルを身につけるべきである。

 

今からでも手に職をつけるべきと思い至った。

 

あとは、未開拓地を探す、穴場を見つける。

 

例えば、建築士や看護師、弁護士は不足しているとよく聞く。

 

IT関係や電気関係の技術者は今も不足しているし、将来もっと必要になる業種だと思う。

 

これらは引く手あまたの業種である。

 

 

今の仕事に関係する以外に何か資格を取っておくことで保険になるかもしれない。。

対人関係の気付き

対人関係でなぜだか壁を作られる。

 

なかなか話しかけられない、会話中もぎこちない。

 

他の人たちは、みんな、冗談を交わしながら、会話ができている。

 

なぜか。

 

この前、複数人と連続で話す機会があった。

 

いろんな人がいて、いろんな話し方をする。

 

話し方がぎこちない人と、いたって自然な人がいる。

 

何が違うのか、思い出していた。

 

気付いたこととして、

表情がよく変わる人は自然な話し方だと感じた。

 

また、言葉がハキハキしていて聞き取りやすいと話が弾みやすい。

 

目線をすぐに外さずに、適度に相手の目をジッと見ている人の話も楽しく続いた。

 

私は何一つできていないだろう。

 

なんのことはない、相手が壁を作っているのではなくて、私が壁を作っているということだ。

 

では、どうすれば壁を取り除けるかだが、

簡単な話、私が自然な話し方を真似ればいい。

 

だが、言うは易い、行うは難い。

 

普通の人は、これらが普通にできるんだろう。

 

普段から心がけ、少しずつ実践するしかないか。。